自己と言うもの(『ウェブは資本主義を超える』)



まず目立つのは「私はこう考える」という主張がほとんどなく、他人を罵倒するメッセージばかりが続くことだ。これは名無しであるため、自己と言うものが存在しないことが原因だろう。
(中略)
日常的な経験では、言説の内容と語る主体は不可分であり、相手はその言葉の内容を解釈するとき、誰がどう語ったかという文脈をもとにして判断する。しかしネット上の匿名記事では、語る主体は抹消されるので、文脈のない言葉だけが「宙吊り」になっている。
(中略)
このように群れる連中のほとんどは内容を理解していないが、問題は内容ではない。彼らは、自分の同類が世の中にたくさんいることを確認して慰めを得ているのだ。

(同書41、42ページより)

=================================

ひとがひとを大事にしなくなってきている様に感じることが増えました。

ヒトと言う種は、身体能力が他の種に比べて特別強いと言うわけでもなく、
社会生活を営むことと、情報を伝達・共有することで
発展と繁栄をして来たと思うのですが、
それはつまり、ひとがひとを大切にしてきたということではないかと思うのです。

道化氏氏のブログの少し前の記事に「殺人とか事故とかそういうのは、
人間が増えすぎたことによる自然淘汰なんだと思う」
という趣旨のことが書かれているのを読んで、
あながち外れてはいないのかもしれない様に思えたりもします。
その様な環境になってきてしまっていると言うことなのかもしれません。

もしもその様になってきているとしたら、他の人も自分自身も
大切にしようとする気持ちを失わない様に努力したいと思います。
大切にする対象は、ひとには限らないのですが。

"自己と言うもの(『ウェブは資本主義を超える』)" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント