昇天主日礼拝証し「父が約束されたもの」(2019年6月9日)

父と子と聖霊のみ名によって、
みなさんが迷う時、迷って迷って、道が見えない時、イエス様が一緒に迷ってくださいますように。
みなさんが立ち上がれない朝、苦しくて苦しくて、起き上がれないような朝には、イエス様が一緒にしゃがみ込んでくださいますように。
みなさんが泣く夜には、悲しくて悲しくて、涙するような夜には、イエス様が一緒に泣いてくださいますように。
そしてそれでもみなさんがそこから立ち上がって一歩前に進もうとする時、十字架上で死なれ、復活され、天に昇られたイエス様が、みなさんの一日を祝福してくださいますように。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

「主はあなたと共におられる。主はあなたと共に嘆いておられる。主はあなたと共に苦しんでおられる」
これは、今から11年ほど前に、ある牧師が語られたことばです。
私がこのことばを聞いた時のことを少しお話いたします。

その頃、私は職場でのストレスが原因で神経を患い、うつ状態になっていました。
うつの状態は人によって様々なのですが、私の場合には、何を言おうとしても、また何をしようとしても、人から責められるような恐怖が襲って来て、そのために、全く何もできなくなってしまっていました。
またそのような恐怖に耐えるために、心が凍り付いたように固まってしまい、頭の中は霧がかかったようになり、文字通り「生ける屍」のような状態でした。
それで、医師の指示で仕事を休み、親元に帰っておりました。
当時の私は、受洗はおろか求道も始めていませんでしたので、自分の力だけを頼みとして生きていました。
自分をいったいどうしたらいいのか分からず、また希望を全く見出せない状態でした、
そして、社会的に役に立たなくなってしまった自分に対して「お前なんか生きていても仕方がない」という声が自分の中で響き続けていました。

実家近くを散歩していた時、その時までは全く気付かなかったキリスト教会の看板が目に入りました。
そしてその教会では、主日礼拝の前の時間に、求道者向けの「小礼拝」が行なわれることを知りました。
私は日曜日になるのを待ち、藁にもすがるような思いでその小礼拝に参加しました。
そして、その小礼拝で説教を聞いていた時に、朦朧とした意識の中に響いてきたのが、冒頭にお話ししたことばです。

このことばを聞いた時、凍り付いた私の心の中に「えっ?」という疑問と驚きが起こりました。
 「この、誰にも分かってもらえない辛さと苦しみを、分かってくれる存在がいるのか?」という驚きでした。
それは絶望していた私に、確かに与えられた希望でした。
してこれが、私がキリスト教会に通い続け始めた最初のきっかけでした。

実に礼拝は、「イエス様と出会う場」だと思います。
イエス様は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」と言われました。
今この礼拝においても、イエス様は私たちの真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言っておられます。
しかし私たちはいったいどのようにしてそのことを悟ることができるのでしょうか。

本日の第二の日課には「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。」とあります。
また、先週与えられた福音であるヨハネによる福音書14章26節には「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」とあります。
私たちが神を知り心の目が開かれるためには、知恵と啓示の霊、父なる神がイエス様の名によってお遣わしになる聖霊が私たちに与えられて初めて可能となるようです。

さて、今日は昇天主日の礼拝を守っています。
イエス様が十字架で死なれ、3日目に復活され、40日目に天に昇られたことを記念しています。
イエス様が復活された日、二人の弟子がエマオと言う村へ向かって歩いている時に、イエス様ご自身が近づかれて一緒に歩き始められました。
しかし、二人の目は遮られていて、イエス様だとはわかりませんでした。
 「どんなことですか」と問われたイエス様に対して、二人は「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。」と答えています。
イエス様の公生涯を共にした使徒や弟子たちは、イエス様が預言者ではなく、神と等しいものであることを、イエス様が復活され、天に昇られたのを目にする中で段々と悟ることができて行ったのではないかと思います。
しかし今、私たちはイエス様のことを聖書を通して知り、イエス様を救い主と信じる信仰を与えられています。
パウロは「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」とコリントの信徒への手紙 一 12章3節で述べています。
イエス様は父なる神を証しされ、聖霊はイエス様について証ししておられます。
信仰は、父なる神がイエス様を通じて私たちに送ると約束してくださった聖霊によって与えられるものです。
私たち自身が出来ることは、その聖霊の働きを自らの思いで邪魔しないことなのかもしれません。

聖霊はみなさんにも「主はあなたと共におられる。主はあなたと共に嘆いておられる。主はあなたと共に苦しんでおられる」と語りかけて下さいます。
父なる神が約束された聖霊の働きに従って、インマヌエルの主であるイエス様が世の終わりまでいつも私たちと共にいて下さることを信じ、今日もまた礼拝から遣わされて参りましょう。

父と子と聖霊のみ名によって、
みなさんが迷う時、迷って迷って、道が見えない時、イエス様が一緒に迷ってくださいます。
みなさんが立ち上がれない朝、苦しくて苦しくて、起き上がれないような朝には、イエス様が一緒にしゃがみ込んでくださいます。
みなさんが泣く夜には、悲しくて悲しくて、涙するような夜には、イエス様が一緒に泣いてくださいます。
そしてそれでもみなさんがそこから立ち上がって一歩前に進もうとする時、十字架上で死なれ、復活され、天に昇られたイエス様が、みなさんの一日を祝福してくださいます。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン

一言お祈りします。
主なる神さま、
あなたは高く天におられ、すべてのものの上におられます。
けれどもまた、あなたは誰よりも近くにおられ、私たちの外にあり、内にあって、私たちを支えてくださいます。
私たちがあなたを忘れている時にさえ、あなたは私たちと共にいてくださることに感謝します。
神さま、どうぞ、私たちがあなたに愛されていることを、いつも覚えていることができるようにしてください。
我らの主イエス・キリストのみ名によって祈ります。 アーメン

聖書箇所:使徒言行録1章1~11節
     エフェソの信徒への手紙1章15~23節
     ルカによる福音書24章44~53節
参考:イエスが与えてくれる、この鼓動(ビート)
   わたしたちの祈り50

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