降誕節第4主日司式祈祷(2017年1月15日)

私どもの主イエス・キリストの父なる御神、それ故に私どもの父としても、今ここに臨み給う御神、ここにこのようにして集まり、本当に不思議な気が致します。
何のために、何に動かされて、この小さな群れが、このようにこの朝、ここに集まることができたのでしょうか。
私どもがここに集いましたのは、ただ、あなたの言葉を聞きたいと願うからです。
あなたにお会いしたいからです。
あなたが近くにおられるうちに尋ねよと、御自身が呼びかけて下さっているからです。
そして、あなたの御臨在の中に生きる喜びの経験を、すでにここで何度も繰り返すことができました。だから、ここに来ているのです。
今、詩編作者とともに詠います。
 「見よ、兄弟が共に座っている。
  なんという恵み、なんという喜び」
あなたが私どもの一人ひとりの肉体と魂の中に、霊として住んで下さることを、今ここで知ることができる恵みの特権を深く感謝いたします。
そしてまた、その恵みのわざの器にふさわしくないことをしてしまう自分であることを、もう一度よく悟らせて下さいますように。

言わなくてもよかったような人をおとしめる言葉を口にしたこと、自分でもわからない、気づいていない言葉で人の心を傷つけてしまったこと、助けを必要としていたはずの人の傍らを、気付きもせずに通り過ぎたこと、その人のために祈るべきであったのに、自分のための祈りにだけ熱中してしまったことなどを、今からでも悟ることができますように。
このように自分の罪を数えると、あなたのみ前に立つことができず、かえってどこかに消えてしまいたいような恥ずかしさを覚えます。そのような私どもを、あなたが立たせて下さいますように。
私どものようなものでも、人のために祈ることができるし、小さくてもみ心に沿う業をすることができるのだということを、勇気をもって思い起こすことができるようにしてください。

主の御名によって来られた、私どもの牧師を祝福して下さい。
牧者として私どもの魂に配慮し、教師として私どもを教え導き、預言者としてみ言葉を取り次ぐ私どもの牧師を、あなたの力強い右の手をもって支え、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。

私どもの賛美を支え、豊かに導く奏楽者を祝して下さい。
ソロモンが主の神殿を建築し、ラッパ奏者と詠唱者が声を合わせて主を賛美しほめたたえた時、雲が神殿、主の神殿に満ち、その雲のために祭司たちは奉仕を続けることができませんでした。
それは主の栄光が神殿に満ちたからでした。
礼拝音楽が鳴り響くところ、神はあふれる恵みを携えて、いつも私たちのそばにおられるのです。
私どもが賛美する時、あなたの栄光がこの礼拝堂にも満ち、あなたはあふれる恵みを携えて私どものそばにいてくださいます。
いま、奏楽者と共に行なう私どもの舌足らずの歌を聞き、つたない歌を受け入れてください、
溢れ出る喜びの賛美をお聞きくださいますように。

私どもの耳と心を開いて、福音の真理を悟らせて下さいますように。
惨めな人間である、死に定められたこの体を持つ罪人である私どものもとに、医者を必要とする病人である私どものもとに主治医として来てくださったみ子イエスのみ言葉に聞き従うことができますように。
御言葉が語られ、また聞かれるために、聖霊の照明を祈り求めます。

高齢のため、怪我や病のため、仕事のためなど、さまざまな理由によって礼拝に集うことのできない兄弟姉妹の上にもあなたのみ恵みが豊かにありますように。
また、私ども一人ひとりが、それらの方々を、あなたへの祈りを以って支えることができますように。
あなたをまだ知らず、そのために孤独の内にあり、人生の意味に迷い苦しんでいる人々が、あなたの愛と救いに気付くことができますように。
私どもが、それらの方々にあなたを指し示す、平和の道具として用いられますように。

我らの主イエス・キリストのみ名によって、感謝し、祈り願います。
アーメン


招詞:イザヤ書43章1節
詩編交読:詩編32編1~11節
聖書箇所:マルコによる福音書2章13~17節
参考:教会に生きる祈り―祈祷集
   大作曲家の信仰と音楽
   BWV248-Ⅲ

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