降誕前第2主日(待降節第3主日)司式祈祷(2016年12月11日)

イエス・キリストの父なる神さま、だからこそ、あなたのひとり子である主イエスを通して、私たちをあなたの子供たちとして、確かに迎え入れてくださった神さま、ありがとうございます。
救い主の到着を待ち望む待降節にあって、二千年以上前の救い主の到来の待望に思いを馳せると共に、今私たちはキリストが永遠の審判者として再びおいでになる日を待ち望みつつ、日々を過ごしております。
あなたがこの礼拝を備え、呼び集めてくださったことに深く感謝をいたします。

私たちは、どのような道を与えられていても、それぞれの場所であなたの栄光をほめたたえながら、その日一日を大切に生きるべきでした。
しかし、過ぐる聖日から今日に至るまでのたった一週間の旅路であっても、本当にたどたどしい歩みしかできませんでした。
それにもかかわらず、いえ、まさしくそのことをあなたのみ前に気付いたが故に、今祈りを合わせようとしています。
口に明らかに言い表すことはありませんけれども、それぞれの罪を心の中にはっきりと思い起こしながら、いかなる罪をも赦して下さる主イエスの恵みを、そのみ名を、同じ一つの信仰に立つ兄弟姉妹と共に祈り求め、呼び求めたいと願っています。
どうか、まことに身勝手なこの祈りに耳を傾けて下さり、一人ひとりに最もふさわしいみ言葉を聞かせて下さいますように。

救い主は確かに来られたのです。
私たちの貧しい肉体と血を身につけることによって、私たちを血縁者として受け入れて下さったのです。
至高の恵みである主よ、あなたが私たちにして下さらないことは何一つありません。
あなたに属する者たちのために、日々、して下さらないことはありません。
あなたは来られて、祝福に満ちた光を照らしておられます。
イエスよ、あなたの教会のもとに来てください。そして祝福された新年を与えて下さい。
あなたのみ名の栄誉を増し加え、健全な教えを保ち、説教壇を祝福して下さい。

二千年前にベツレヘムの家畜小屋にお生まれになった主イエス・キリストが、罪において私たちと一つとなり、罪の赦しを願う祈りにおいて私たちを一つに結び合わせてくださることを感謝します。
私たちの誰一人の大きな愛がほめたたえられるのでもなく、私たちのただ中に生まれてくださった主イエス・キリストの大きな愛だけがほめたたえられる、降誕を祝う季節を与えて下さいますように。

私たちを、世俗化と行為義認への誘惑からお守りください。
ただあなたに向かう敬虔な思いを見失うが故に、世や自らの評価に応えようとしてしまうことがどうかありませんように。
ただあなたのみ旨を尋ね求め、それに従う者と、どうかならせて下さい。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、私たちの神である主を愛しなさい。また隣人を自分のように愛しなさい」との御言葉を実行することができますように。

アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方は言われます。
「見よ、私は戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と食事をするであろう」
私たちは塵や芥にすぎませんが、イエスは私たちをさげすむことなく、私たちを喜びとして下さり、私たちはイエスの住まいとなるのです。
イエスが来てお入りになられるために。私たちが心のすべてを開くことができますように。

異邦人の救い主よ、いまこそ来て下さい。

我らの主イエス・キリストのみ名によって、感謝し、祈り願います。
アーメン

招詞:詩編24編9~10節
詩編交読:詩編29編1~11節
聖書箇所:ルカによる福音書1章26~38節
参考:愚直な道―マルコによる福音書―
   教会に生きる祈り―祈祷集
   BWV61

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