「善悪の知識」と「死」に関する思索

創世記2章17節でアダムが神から
善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう
と言われたにも関わらず食べてしまって、
アダム、つまり人は土・塵に返るものとなってしまいました。
しかし、なぜ善悪の知識が死につながるのでしょう。

善悪の知識は裁きにつながっていて、
人が神に代わって自他を裁くようになるということなのでしょうか。
自分で自分を裁くと絶望につながる気がします。

また、自己正当化をすることによって
神を神としなくなるということでしょうか。
つまりは神をも裁こうとすると。
その最大の代表例が主イエスの磔刑でしょう。

逆に、創世記2章7節には
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
 その鼻に命の息を吹き入れられた。
 人はこうして生きる者となった。

とあります。
ですから、人が死ぬということは
神が吹き入れられた命の息が抜けるということかもしれません。
そして、善悪の知識はそれにつながっているのかななどとも思います。

だんだんと妄想の域に入っている気もしますが(苦笑)、
善悪の知識は神をも善悪で裁こうとして、
そのことによって自分の中にある神が吹き入れられた命の息を
自分の中から出してしまい、
内に命を秘める言である神(ヨハネによる福音書1章1節・4節)から離れるので、
塵に返ってしまうのかもしれないなども感じます(^^ゞ

この一連の思索はきっと、日本基督教団延岡使徒教会牧師の
沼田先生のTweetに共鳴したのでしょう(^^ゞ
https://twitter.com/nobeoka_apostle

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