心の深いところ

20年ほど前に バッハのミサ曲ロ短調のCDを聴いていて
涙が出て止まらなくなった経験から
いったい これは何なんだ という疑問の答を知りたくて
バッハの作品を聴き始め
また 演奏するようになりました

そして バッハがこだわったコラールが
どのようなものなのかを知りたくなり
キリスト教会の礼拝に
参加したり しはじめました

ある日 ふと訪れた教会の礼拝で 
説教の内容に 気付くことがあり
またそこで バッハのカンタータ140番で歌われている
讃美歌174番「起きよ、夜は明けぬ」を
歌ったことがきっかけで
信仰について より深く考えるようになりました

最近 気が付くのは
バッハやヘンデルなどの宗教曲を
聴いたり 演奏したりする時に
以前より心の深いところから
楽しむことができるようになったように思う
と いうことです

国立音楽大学の礒山雅教授が
バッハ理解と信仰の関係についての結論を
ブログで公開しておられます。

ひとは 宗教の問題への鋭敏な感性
個的人間を超えるものへ広い志 などを
どのようにして持ったり 磨いたりするのでしょうか

バッハやヘンデルが信じた神と
同じ神を信じること

それもひとつの 有効な方法のように
私は 思います

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この記事へのコメント

2009年11月16日 14:07
こんにちは。

記事を拝見して以来、ずっと考えてました(笑)。
信仰を持たずとも、人生において「生」や「死」に
直面し触れることによって、感謝の心が芽生えたり、
救われたいとか癒されたいという気持ちが生じたり、
それがきっかけで宗教に関する本を読んだり・・・
そういうことの積み重ねで、なにか人の力では
どうにもならないような全知全能の存在に
初めて気がつくのかもしれない…と思いました。

音楽に関しては、心の琴線に触れるか触れないかの
違いだと思う反面、信仰を持つ方との「琴線の触れ方の違い」を感じます。
それと同時に、たとえ信仰する宗教が異なっても
その違いを超えて感動を共有できるのが
音楽(というより芸術全般)なのだと思います。


2009年11月16日 19:01
らいあさん。コメントをいただき、どうもありがとうございます。

表現したかったことが伝わったようでほっとしています(笑)。と言いますのは、当記事は掲載するまでに何度も推敲を重ねたためです。それは、こういった内容は往々にして誤解が生じ易いと思ったからです。

最近ぼんやりと感じていますのは、日本では初詣で、お盆、七五三にクリスマスなど、信仰心がまったくないというわけではないようなのですが、宗教に対しては抵抗感を持っている人が多いのかな、ということです。

私もかつてはそうでしたが、仕事で西洋人と話す機会などを通じてそういったことに無自覚ではいられないと感じ、また音楽と向き合う中で宗教について知る機会を得て、知らないことが理由で不安に思うようなことが減りました。

生死の問題が隠されてしまいがちな日々の生活の中で、例えばペットとの生活は色々な意味でそれに直面する機会のような気がします。

音楽(や芸術)は世界の共通語になり得るのではと感じていますが、その根幹はそれらに対する感性なのでしょうね。そういった楽しみを分かち合えればと思っています。

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