バッハの問いの前に立っている(『J.S.バッハ―時代を超えたカントール』)

《マタイ受難曲》を聴いてどうするか、それは各自の決断です。聴き終わって、私は罪ある者であって愛と赦しを必要とする人間だ、その愛が、あのイエスにおいて実現したとバッハは指し示しているのですが、それを信じるか信じないかは、その場まで、キリスト者であろうとなかろうと何も変わりはないのです。最後の一瞬まで、キリスト者もそうでない人も、まったく同じ立場で聴き、バッハの問いの前に立っているのです。



(同書193~194ページより)

==============================

日本のキリスト教信者の割合は 1%ほどなのだそうですが

バッハの音楽の愛好者は それよりも多いように思います



バッハの音楽は 長い間キリスト教を生活倫理としてきた

西洋の歴史の中で生まれました

それとは異なる歴史を持っている現代の日本でも

バッハの音楽が胸を打つのは なぜなのでしょう

 

バッハの音楽との接し方には 聴く 演奏する 研究する など

いろいろな仕方がありますが

バッハの音楽とまっすぐに向き合うとき

もしかしたら バッハ自身もその前に立っていた

問いの前に立つことになるような気がします



そして その問いの答えは



それは ひとりひとりが 自ら見つけるものなのでしょう


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック