わたしは誰なのでしょう?(『洗礼―新しいいのちへ』)

 わたしは誰なのでしょう?
 「あなたは自分だけを頼みとして、自己を律して生き、自分の腕一本で地位を築いていく存在です」。現代の科学主義の世俗社会はそのように告げます。「自分のことは自分でしなさい。他人をあてにしてはなりません。人生にとって最も大切なことは、いとしい『自分』を成長させ、大切にし、愛することです。あなたが築き上げてきたもの以外に価値はありません。あなたが意味を求めるもの以外に意味はないのです。ナンバーワンを目指しなさい。そうして、満足を与え、安心させてやり、喜ばせ、感動させ、もてなしてやるのです。寂しがり屋でちっぽけなこの『自分』を」
 答えは次々に返ってきます。こうした答えはみな、わたしたちにとっておなじみのものですし、すでに多くの人たちが受け入れているものです。そして実際のところ、「わたしは誰なのか」というアイデンティティをめぐる問いは、二十一歳の誕生日をもってすっかりなくなり、解決済みになるとはいきません。(中略)いつまでもどこまでも終わることのないアイデンティティの危機。「わたしは誰なのか」という問いは、母の胎から墓場の中まで、人生のどの段階にもつきまといます。

「わたしは誰なのでしょう?」しつこく迫ってくるこの問いに、教会は昔から次のように答えてきました。「あなたは洗礼を受けています」



同書第208~209ページより

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お手伝いしている聖歌隊の

クリスマスの音楽礼拝に向けての練習が

夏より始まっています



信仰を持たない私が 聖書の言葉を演奏するにあたって

より良いものにするためには どのようにすればよいのだろうか

「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる」

(旧約聖書・イザヤ書第40章1節)を

いったいどの様に歌うべきなのか

その答を 教会に求めました



「『キリスト教の信者になる』ということはどういうことなのでしょうか」

その問いに対する答への第一歩として 

牧師さんが上記の書籍を貸して下さり

その中で最も印象に残ったのが引用した箇所です





飛躍するかもしれませんが

昨今頻発している 心の問題に起因するように感じる事件と

「わたしは誰なのでしょう?」という問いに対する

現代の科学主義の世俗社会が告げている答えとが

強く関係しているような

そのような気がします

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