自分の命があぶないときなどだけに使うことば(『はれときどきたこ』)




「子供でも、『死ね』などとかるがるしくいうが、よくないことじゃ」
「あいての心にバクダンをなげこむような強いことばなのに」
「自分の命があぶないときなどだけに使うことばじゃ」
 ひえっ、ぼくも、ゲームなんかやってるときなんか、相手のキャラを攻撃するときは「死ねーっ、こら、死ね死ね死ねー」と、さけんでしまう。

(同書第76ページより)

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軽くなったな、と感じることが多い
言葉 と 命 がです

なぜなのだろう と考えているうちに
人のコミュニケーションが
デジタル機器を通じて行われることの方が
それらを介さずに行われることよりも
増えて来ていることを思いました

このブログもその一つではあるのですが
デジタル信号は 所詮 代替物であって
発信者と受信者双方の深い想像力や洞察力無しには
本当に意図していることが伝わることは無いのでしょう

コミュニケーションとは 情報を伝えることではなく
情緒を伝えることであり 共感することなのだ と思います

「他人の存在とは 体温と 質量だ」とは
私が思春期に感じたことです
でも ビット(デジタル情報)には質量も温度もありません

コミュニケーションの原点は やはり実際に
面と向かって話し合うことで
何らかの機器を通じてのそれは
所詮 補助行動でしかないのでしょう

人と その命の持つ
重さと温かみを感じることは
やはり物理現実界でしかできないのだな
その様に思います

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この記事へのコメント

伍玖肆
2010年12月24日 13:53
『はれぶたシリーズ』の刊行済み全9作を読破して得た結論
『はれときどきタコ』はテーマと話の構成
ともに優れた最高傑作です

[594]
2010年12月25日 13:03
伍玖肆さん、コメントありがとうございます。(ゴクシさんとお読みするのでしょうか?)
『はれときどきタコ』は、確かシリーズの中でも高い年齢向けに書かれたものではなかったかと思います。
作者の伝えたいことがストレートに書かれた作品なのかもしれませんね。

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